事件の顛末     関連年表     四十七士伝     資 料 集      忠 臣 蔵   問合せ 

大石内蔵助 吉田忠左衛門 原惣右衛門
冨森助左衛門 潮田又之丞 堀部安兵衛
赤埴源蔵 奥田孫太夫 矢田五郎右衛門
大石瀬左衛門 早水藤左衛門 間喜兵衛
岡嶋八十右衛門 武林唯七 倉橋伝助
奥田貞右衛門 矢頭右衛門七 村松三太夫
片岡源五右衛門 間瀬久太夫 小野寺十内 大石主税
 

 
村松喜兵衛 杉野十平次 勝田新左衛門 前原伊助
神崎與五郎 茅野和助 横川勘平 間新六
礒貝十郎左衛門 堀部弥兵衛 近松勘六
中村勘助 菅谷半之丞 不破数右衛門
千馬三郎兵衛 木村岡右衛門 岡野金右衛門
吉田沢右衛門 貝賀弥左衛門 大高源五
間瀬孫九郎 小野寺幸右衛門 間十次郎
三村次郎左衛門 寺坂吉右衛門 大石神社四十七士像について


 演劇や小説で「忠臣蔵」として名高い事件は、18世紀初頭、元禄14〜15年に起きた。江戸城中で、播州赤穂城主・5万石の大名であった浅野内匠頭長矩が、高家旗本・吉良上野介義央に斬り付け負傷させたのが発端、この事件の咎により、浅野内匠頭は即日切腹となった。この事件により、赤穂浅野家は改易。所領は召上げ、城地は明渡しとなり、家臣団は解散、浪人となった。
 ふつうはこれで一件落着のはずだが、そうではなかった。この事件から1年と9ヵ月後、もう一つの事件が起きた。浅野の旧臣らが、吉良の屋敷を襲撃し、吉良義央を殺しその首をとる、という第2の事件が起きたのである。この襲撃事件から約2ケ月後、幕府の裁定があり、襲撃に参加した46名が切腹となった。しかもそれだけではなく、被害者であるはずの吉良家は改易となった。
 赤穂事件とはこれら一連の事件を指す。「赤穂」〔あこう〕というのは、吉良義央を襲った浅野長矩の城があった場所の名である(現・兵庫県赤穂市加里屋)。しかし赤穂事件とは、浅野の旧臣・赤穂浪人らが主君の未遂行為(吉良殺害)を完遂するという、第1と第2の事件の連接によって生じた事件のことである。事件の主体は、主君の遺志を代行した赤穂浪人たちで、吉良義央はあくまで対象であるため、「赤穂事件」と呼ぶのである。
 かくして第1は、殿中刃傷事件、つまり江戸城内において浅野内匠頭が吉良上野介を傷害し、内匠頭切腹、浅野家改易という結果となった事件。第2は、それより1年9ヶ月後の討入事件、つまり浅野家旧臣・赤穂浪人らによる吉良屋敷襲撃と吉良殺害、そして襲撃者らの切腹と吉良家改易という処分がなされた事件。第1の事件のみでは、おそらく歴史に埋没する平凡な事件にすぎなかったはずのものが、第2の討入事件によって、俄然まったく別の次元を獲得するものとなった。
 その第1の事件と第2の事件の差分が、当時の人々を興奮させる当のものであり、現代人ですら、いささかその興奮の余波を否認しがたいのである。なかでも事件後50年ちかい18世紀半ば、この事件を周知のモデルとする演劇が興行されるや大人気となり、その題目「仮名手本忠臣蔵」による「忠臣蔵」という名が、赤穂事件を示す名称とさえなった。史的事件としての赤穂事件は、フィクションとしての「忠臣蔵」の名によって冠を得たのである。史的事件としての赤穂事件は、フィクションとしての演劇「忠臣蔵」によって知られるようになった。
 それゆえ、明治以来、史的事件としての赤穂事件と、フィクションとしての「忠臣蔵」との差異、つまり忠臣蔵の真実、史実としての赤穂事件を語るという試みが繰り返し実演され、そのスタイルがあたかも様式化された観がある。いいかえれば、これは忠臣蔵の副産物である。忠臣蔵の真実を知り・語るということが、もう一つの快楽となったのである。これがいかほど退屈な光景であったか、それは申すまでもない。江戸時代というのに、赤穂事件ほど史料が大量に残った事例は他にない。
 しかるに、我々のここでの試みも、あえて史実としての赤穂事件を語ることにあり、研究の名において、図々しくもそうした退屈な光景を再演することに他なるまい。そうかもしれないが、しかしありていに言えば、これは不遜な韜晦であって、実は社会秩序と暴力の関係を、赤穂事件を通じて看取してみよう、というところが研究の眼目なのである。
 そこで、我々は史実としての赤穂事件を語るというスタイルをとって、「赤穂事件研究会」と称し、かつまた、サイト名を「播州赤穂浪士 忠臣蔵」とはするもの、略称はやはり《忠臣蔵》なのである。その心は、我々の試みそのものが明治以来の史実研究という陳腐化した行為であり、これが忠臣蔵の副産物であることの標識である。
 ついでにいえば、「赤穂浪士」という名さえ先例があり、これは「義士」の名を回避するもののごとくであるが、たんに「赤穂浪人」と言えばよいものを、赤穂「浪士」とするのは、いささか念の入った名称とみえる。ただ我々のばあい、これは吉良邸討入りの面々のポジション、すなわち浪人(牢人)と士(仕官)の両立不可能な差異を丸抱えにして表記するものである。
(赤穂事件研究会)

Contents:
赤穂事件の顛末
浅野内匠頭の殿中刃傷事件から、赤穂浪士による吉良邸討入、そしてその後の処分にいたるまで、史料を駆使して事件の進行を追う
赤穂事件関連年表
赤穂事件の発生からその後の反響まで、推移を時系列で整理した年表。事件を中心に同時代の状況もわかるようにした
四十七士略伝
吉良邸討入りに参加した四十七人の銘々伝。加えて、浅野内匠頭長矩や吉良上野介義央その他関係人物の略伝掲載
赤穂事件資料集
赤穂事件に関する資料は多い。その中でも重要な基本資料を選んで、現代語訳して閲読に供する。順次作業を進めて追加
仮名手本忠臣蔵を読む
赤穂事件を「忠臣蔵」と呼ばしめるようなった浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」。このあまりにも有名な演劇のストーリーを読み解く





  最新更新日 2005-08-13   // since Jan. 2003

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